横尾ワールドとイラン。

GW後半は神戸に来ております。

目的は二つ。

横尾忠則現代美術館とイスラーム映画祭。

そして、どちらもちょっとしたご縁で。

横尾忠則現代美術館

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きっかけは、豊島横尾館

雨の豊島で一人歩いていたら、島のおじいちゃんに軽トラで拾われて、「雨宿りしとけ!」と降ろされ、とりあえず言われたとおりに入館。今まで横尾さんのお名前と作品は何となく知っていましたが、ちゃんと生で作品を観たのは初めてでした。

そこでピシャリと雷に撃たれるような衝撃を受けて「今度は神戸にも、、、。」という経緯。

今回の企画展は「横尾忠則の冥途旅行」。

豊島で死後の世界をテーマにした作品を目にして、「横尾さんの死生観って、、、?」と気になっていたところでのこの企画。

タイミングがあまりにも良いので「私のために用意されたのでは?」と思ってしまいました。

さて、ちょっぴり学んだこと、感じたことをまとめます。

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横尾さんは死後の世界への関心が強くあり、「死の側に立って生を見つめる」作品を描き上げているとのこと。

じっと対峙していると、魂を抜かれるのではないか??という思ってしまうぐらい、どれも迫力とエネルギーに満ちた作品でした。

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本来なら抑えたい、抑えなくてはならない本能的な何かが溢れ出てきていて、ぞっとする一方で、それを何も躊躇することなく放出する作品に感嘆。

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自分にとって、横尾さんの作品は”好き嫌い”とかではなく、一種の憧憬の念を抱くような存在だな〜と思いました。

イスラーム映画祭

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きっかけは、都内で参加した映画のトークイベント。

最近少し映画から心が離れていて、イラン映画が公開されるのをすっかり失念していました。東京での上映は既に終了していることを知って落胆、、、。

しかし、そのトークイベントでまだ神戸で観れるという情報を入手。

これはもう行かなきゃ!ということで、神戸のミニシアターデビューもしました。

観たのは、イラン映画『花嫁と角砂糖』

舞台はイラン中部のヤズドという街。

そこに住まう、結婚を控えたある娘と、その家族の模様を描いた作品です。

この作品を通して、イランの冠婚葬祭や家族関係(家の中では女性がけっこう強い!など)をちょこっと学ぶことができます。

一方で、頑固な伯父(娘の育ての親)と結婚する娘の関係性はどこか小津安二郎の映画を彷彿させるものでした。

地域や民族の違いはあれど、結婚や葬祭といった行事は家族を集め、わだかまりを解いてくれる機会を与えてくれるものなのだな〜と思いました。

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そして、映画の中で医者が口にした詩が前述の横尾さんの考えに共通するものがあってビックリ。

「人生は一陣の風。ただ吹き抜けるだけ。」(正確には覚えていないのですがこんな感じ)

つまり、人生は風のようなもの。

私たちはただ事の成り行きに身を委ねるだけ。

一方で横尾さんは、いつかの新聞でこんな事を仰っていました。

「僕は他力本願で生きてきた。他人が敷いてくれたレールの上を走ってみたら今に至った。」(こちらもうる覚え、、、。)

生き方は人それぞれ。

一人一人に合った生き方があります。

それは自分で切り開く生き方かもしれないし、風に流されるように身を委ねる生き方かもしれません。

何だかまとまりがなくなってしまいましたが、今回は流されるように神戸に来て、たくさん得るものがありました。

まだ自分はどのタイプか分かりませんが、もう少し流されて生きてみようかなと思います。

※余談ですが、映画館に行ったら上述のトークイベントのスピーカーさんに遭遇。

帰りにお礼を言うことができました!

<おまけ>

横尾忠則現代美術館に併設されているカフェにて。

お皿とマグカップも横尾さん仕様。

見入って思わず回したり、左右から覗き込んだりしてしまいました。

①ハンバーグプレート

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②コーヒーカップ

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③デザートのお皿

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