「僕らはもっと繊細だった。」

今日はお天気だったので、散歩がてら原美術館へ。
Lee Kit さんは香港出身のアーティスト。

彼の特徴は、展覧会を開催する街の空気感や感情に寄り添った作品を創り上げることだそうです。

今回初めてLee Kitさんの作品を拝見して思ったことは二つ。

①光の使い方が絶妙。

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プロジェクターで美術館屋外の風景を、その空気感も生かしたまま、絵画のように空間に取り込む演出には閉口しました。

(プロジェクターの光を除けば)ほとんどが照明を使わない自然光による展示。

それ故に、太陽にちょっと雲がかかるだけで作品の表情がガラッと変わって、まるで違う作品を見ているような感じがしました。

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また、採光の仕方も部屋によって様々。

半透明のブラインド(?)を使って光を柔らかくしたり、窓を大きな衝立のようなもので覆って部分的に光を取り入れたり。

こんな光の使い方もあるのね〜と部屋を移るたびにワクワクしました。

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②言葉のみせかた(見せ方・魅せ方)が凄い。多くの展示作品には、キャンバスやプロジェクターの映像に言葉や詩が添えられていました。

その中でも、キャンバスに描かれた言葉が印象的でした。

(これは実際に見ないと分かりにくいのですが) その言葉が持つイメージだったり、その言葉を書き綴るまでの心の動きまで視覚的に表現しているところに、おおっ!となりました。

例えばこちらの作品。

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この言葉を綴るまでの葛藤が視覚化されていて面白いなと思いました。

そして、完成したものの、本当のところはどう思ってるのかな?と。

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原美術館は品川の閑静な住宅街に佇む小さな私立美術館。

でも、常設展示からして凄い。

イサム・ノグチ杉本博司須田悦弘奈良美智、宮島達男、李禹煥などなど名だたるアーティストの作品が集結しています。

そして、駅遠&住宅街なのに海外からのお客さんも多い!

品川区民3年目にして初めて来た私は何なんだ?!と思ってしまいました。

まさに灯台下暗しな体験をした一日でした。

最後にお気に入りの作品を↓

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(42/100)

キーワードは、心地よい澱み。

念願のニューヨーク旅行から早1ヶ月。
あまりにも沢山の刺激を受けて、なかなか自分の中で整理できずにいました。

この一ヶ月は、東京の色んな場所や人をたずねて見たり聞いたり。

比較していくうちに、段々とニューヨークで感じたことを言葉に落としこめるかも!と思えるようになってきました。

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ニューヨークといえば、金融・食・娯楽に至るまで、あらゆる分野で世界を牽引する街。
さぞかし大都市で活気に溢れた街なのだろう、、、と行く前は楽しみ半分、不安半分でした。
でも実際に行ってみたら、あらビックリ。
思いのほか居心地が良く、むしろ東京よりおおらかな時間が流れていました。

なぜそう感じたのか。
それは、街がみんなに開かれており、空間的にも、心理的にも、ひとが留まる余白があったからだと思います。

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ほぼどこの交差点わきにもホットドッグ屋さんや、ドーナツ屋さんの屋台。
そして通りを少し歩けば、ちょこっと座れるベンチや広場があって、そこでホットドッグを温かいうちに頬張れる。
銀行や企業のビルの前の広場も街に開かれており、そこでお勤めしている人はもちろんのこと、通りがかりの人もそこで休憩していました。
セントラルパークやユニオンスクエアなんかに行ったら、もうベンチだらけ!!
観光客も多いけれど、地元の利用者も方が多い印象を受けました。

仕事休憩、青空読書、友達とお喋りなどなど、みんな思い思いの時間を過ごしていました。

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そんななかに、自分もこっそりと身を置いてみる。

するとどうでしょう。

よそ者だし怖いな、、、という不安は嘘のようでした。
なんだか街に受け入れてもらったみたいで、
「自分もここにいていいんだ!」という気分になりました。
本当に居心地が良くて、天気の良い昼下がりなんかは、公園のベンチで平気で2時間近く読書をしてしまうほどでした。

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ニューヨーク。

一言で言うならば、それは不思議と人の流れが澱んで、そこでおおらかな時間・空間が生まれる不思議な街でした。

東京にも公園はありますが、街そのものは意外と素っ気ない。

「ちょっと休もう。」「心地よい場所を探そう。」と思うとお金を払ってカフェへ、ということが多いのではないでしょうか。
東京という街もいろんな表情があって、エリアごとの違いもあります。

だから一括りにして語ってはいけないことも分かっています。

でも、これだけは言いたい。

ニューヨークみたいにもっともっとみんな開かれた街になってもいいんじゃないかな?

そうしたらさらに素敵な街になれるはず!!

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彫刻を暮らしのなかに。

駆け込みでイサム・ノグチ展🏃‍♂️
ニューヨークのMETで見たノグチ氏の『水石』という作品。

3日間連続で観に行くぐらい気に入ったのですが、「何でこうも肌に馴染む作品なのかな?」と。

そのヒントを探しにやってきました。
このよく分からない肌に馴染む感じ、それの秘密は2つありました。

①彫刻を人々の生活や社会の中で役割を果たすものへと昇華させようとしたから。

②その過程として、人間の身体や身体感覚を起点に、身体を取り巻くあらゆる分野にその領域を広げたから。

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石の彫刻に限らず、照明は「光」の彫刻、庭は「空間」の彫刻、そして噴水は「水」の彫刻という観点から製作されている点が面白いな〜と思いました。
特に有名な照明『あかり』シリーズの部屋は、和紙から照らし出される柔らかな光がじんわりと、ゆっくりと身体に沁み渡るような感覚がして何とも心地よい空間でした。何となくではあるけれど、どうしてあのとき心が動いたのか分かってスッキリした連休最終日でした。(シルバーウィークに行きました)

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陰翳をことばで語る。

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰影のあや、明暗にあると考える。」谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より。

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以前、『建築の日本展』で学んだ日本建築の三つキーワード「もののあはれ」「無常」「陰翳礼讃」。
いずれも感性であって、目に見えない「何か」でした。
「何となくわかる気がするけど、、、。」とモヤついていたところ手に取ったのが、本書『陰翳礼讃』。

陰翳の世界をここまで丁寧かつ美しい言葉に落とし込んだ谷崎潤一郎に脱帽しました。

(今週、毎朝出勤前にカフェでちっちゃくため息つきながら読んでいました。)

そして「なぜ日本人が薄暗がりを好むのか」についても知ることができ、本当に読んでよかった!と思っています。
機会があれば是非とも読んで頂きたい一冊です。

できることなら大川裕弘さんの写真付きのもので。

※ちなみにこの写真はへなちょこフォトグラファー・ヤマザキによる光琳屋敷です。

支えられて、生きている。

新潟県は越後妻有で3年に一度開催される大地の芸術祭
購入型クラウドファンディングで見つけたツアーに参加に思い切って参加してきました。
作品は社会的メッセージ性の強いものから、感覚的なものまでバラエティ豊富。

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でも、一番胸に刺さったのは作品ではなく、車窓から見える景色でした。

もちろん、緑豊かな田園風景は思い出すだけでもうっとりするほどの美しさ。

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ただ、それ以上に山からニョキニョキと生える鉄塔と送電線の数に衝撃を受けました。

しかも、その殆んどが東京へ送られる電気とのこと。

また、水力発電のために大量の取水された結果、この地域の生態系も変わってしまったことも初めて知りました。

ちなみにピーク時の山手線の列車の2本に1本は信濃川の水が動かしているとのこと。

毎日山手線を利用していることもあって、この事実にはかなりショックを受けました。

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自分たちの生活が遠く離れた新潟の自然に支えられている。

そんなこと、露知らずに日々を送っていました。

この事実を知った今、少しでもこの美しい景観を保ちたい、守りたいという気持ちになりました。

私ひとりでどうにかなる問題ではないとは分かっています。

でも、月並みの言葉ではありますが、小さなことから何かできることに取り組みたい!と思った、そんな一日でした。

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番外編でGolden playroomという一軒家が狂気を感じる作品で、オススメ。

とある部屋では、ペルシャ絨毯が貼られた壁に世界の強面お面がズラっと飾られており、その前で麻雀ができるます。

心の奥底の何が掻き立てられる魔界?のような空間です。

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今回のツアーは、オフィシャルサポーターの安部敏樹さん、山野智久さん、芸術祭運営の舵取りをされている原蜜さん、そして総合ディレクターの北川フラムさん(!)のお話を聞く機会がありました。

本当に濃密な時間で、お話しして頂いたことを私も誰かにシェアをして、これからの芸術祭、そして越後妻有に住まわれている方々のお役に少し立てたらな〜と思います。

(帰ってからフラムさんの本を何冊か読みましたが、読んでから行ったらもっと理解が深まったのになぁとちょっと後悔。)

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大地の芸術祭は9月17日(月)まで開催中です。

お時間があれば、是非一度お運び頂けると嬉しいです。

(39,40,41/100)

マイ棚卸し in 直島。

何だか針が欠けたコンパスで歪な円を描くような毎日。

これのままでいいのかなぁ、と思いながらもクルクルと回り続ける。

でもここに来ると、ふと手を止めて(?)自分が描いてきた円を見つめ直すことできる。

言うなれば、直島はマイ棚卸しスポット。

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現代アートを眺めていると、その解釈が人それぞれでいいのと同じように、今の自分の生き方も捉え方次第なのかなと少し心が軽くなる。

そして、穏やかな瀬戸内海は、良いところも悪いところも引っくるめて、今の自分を全て包み込んでくれる。

こういった具合に、直島に来ると自分が描いてきた円(日常)を眺めて、良いところ、悪いところと真正面から向き合うことができる。

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何が正解なのか分からないけれど、自分の好きな円を描けるようになりたい。

それはちょっとずつ修正しながら描けるようになるものなのか。

それとも「えいっ!」とコンパスそのものを替えてしまうぐらいの大胆さが必要なのか。

どっちなのだろう。

ただ、歳を重ねれば重ねるほど、コンパスを替えることへの抵抗感が強まるのは確かなことだと思う。

次回直島に来るときは、「おっ、少し上手に描けるようになったかも?!」と思えるように頑張ろう。

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※今回はたまたま好きなホテルの予約が取れたうえに、その日はなんと花火大会。

さらに予期せぬ嬉しい再会もあったりで、つくづく直島は奇跡を呼ぶ島だな〜と。

 

※最後にちょっとだけ写真を載せます。

①南瓜と花火

花火に照らされた夜の南瓜はちょっぴり妖艶な雰囲気。

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②部屋には大好きなジェームス・タレル

滞在中は椅子に腰掛け読書したり、ボーッと海を眺めたり。

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杉本博司さんの海景五輪塔

ずっと眺めていると、光硝子の海にスーッと吸い込まれるような不思議な気分に。

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今年は一緒に。

運命なのか、偶然なのか、今朝読んだ本の一節が今日という日にぴったりでした。

 

『人生に起こるできごとは、いつでも「突然」だった。昔も今も…。

(中略) 幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。

それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。

一期一会とは、そういうことなんだ…。』

『日日是好日』より(森下典子・飛鳥新社)


家族揃って、テーブルを囲み、同じものを、一緒に食べる。

3年前までは、ごく当たり前のことだと思っていました。

でも、その「突然」は私の家族にもやってきた。

父の病が判明したのは3年前の夏。

病名は食道癌。

その名の通り食道に腫瘍があるため、食べ物が喉を通らない。

毎回帰るとき、これなら食べられるかな?とあれこれ考えて、手土産を買ってみる。

でも、帰るたびに以前は食べられたものが食べられなくなっていく。

そんな父の姿を見て、ものすごく辛かったけれど、一番辛かったのは父本人だったはず。

しかし父は、弱音を一切吐かずに病と闘いました。

本当に本当によく頑張っていたなと、娘ながら誇らしく思います。

今日はそんな父の誕生日。

今年は同じ場所では無理だけど、好物のチーズケーキを一緒に食べようね。

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そして、これから先、だいじな人に会えたなら、その人と共にいれる幸せをかみしめて、一瞬一瞬を丁寧に過ごしたいなと思います。

こういう話はブログに載せるものじゃないのかもしれません。

でも、もし皆さんのだいじな人がまだ元気で、近くにいるのなら、その人との時間を大切にしてほしいなと思って書いてみました。

長々と失礼致しました。